『敗北と死に至る道が生活』その1788
来月の ROCK IN JAPAN を見るために契約しておいた WOWOW でサザンのライブをやっていたので見ていた。活動休止最後のライブらしい。特に思い入れがあるわけでもない私にとっても、それぞれの時代の記憶のBGMとして曲が存在している。雨が降っちまって大変そうだったがそれでも全ての観客がとても嬉しそうに見守っていた。やってんだか辞めたんだか分からない状態でずるずると続けているのもどうかと思うので一端区切ったのはすっきりしていいのだと思う。桑田さんは「単なる通過点ですから」と呼びかけていた。
エレカシは活動20年で200曲。サザンは30年でどうなんだろうと調べたがよく分からなかった。JOYSOUNDに入っているのが全曲だとしたら282曲か。契約上どのバンドも1年10曲ペースになるのかもしれない。ちなみに「エレファントカシマシ 曲数」でググると、うちのページに飛ぶまでもなく出てくる。自画自賛だからやめておこう。
高校の同級生がサザンファンで無理矢理レコード盤を渡されたことを思い出したり、今はこんなザマのおっさんでもわずかばかりの青春を人並みに送り、海に行くときのカセットテープにはサザン。スキーのときはユーミンと相場が決まっていた。社員旅行の温泉街で場末のスナックでカラオケを歌ったのも確かサザンだった。余暇を楽しむ。行動のBGM。私にとって音楽とはその程度だったのだ。
ある日突然「宮本浩次」という男が音楽を媒介として私の意識に土足で入ってきた。次の日からはシャツからパンツから靴下から靴まで全て黒いものを買うようになった。宮本浩次になりたい。そう本気で思っていた。町を歩けば世間を睥睨していた。何かを勘違いしていたのだろう。音楽が生活や人生にまで食い込んできた。土足で踏み荒らされ私は笑っていた。もっとやってくれと。
エレファントカシマシが活動を終えるときを想像したらココロにぽっかり穴が開いた。妄想に涙し、空想で笑った。現に宮本浩次は次のステージに行っているではないか。彼がどこへ行こうが私はついていこう。そして皆さんの役に立つこのサイトの永久活動宣言をしよう。
こんなこと書くと明日事故で死ぬかもしれない。