『敗北と死に至る道が生活』その1868
先日ブックオフに行ったら古書リサイクルはエコだとポスターが貼ってあった。エコと著作権だったら著作権を優先して欲しいと思うのはきっと提供者側と私だけだろうか。東野圭吾なんか図書館も否定しているし。とは言え中古を買ってしまうのが庶民。文庫で900円って。若い頃は物体の価値だと思って読んでも部屋に置いていたが価値は文章であって紙ではない。脳みそに吸収したら捨ててしまっていいのだ。今、乃南アサの「風紋」を読んでいる。本当はニューヨークに行く機内で読もうと思ったのだ。分厚い上下巻なので旅にはぴったりだ。最初だけちょっと読んでみたら止まらない止まらない。遠足前におやつ食ってしまう子供のようだ。一説によると名古屋の人は全員ラムネを持っているらしい。
いい意味で文章に特徴がない。違和感なく読めてしまう。相当考えられている。上巻の三分の二まで読んでしまった。やばい。とは言え私は下巻を読んでいる最中、嫁が上巻から読むので丁度いいのだ。しかしこの勢いだと下巻にまで手を出してしまいそうだ。遠足に持っていくおやつがない小学生なんていない。小学生以下だ。40過ぎのおっさんの思考回路が小学生以下だ。みんな分かったフリをして生きているだけなんだろう。か?
とは言え「風紋」の続編があって「晩鐘」も買ってある。こちらもブ厚い上下巻。乃南アサは読みやすい。死体の描写が凄い。あんた見たんじゃねぇの。ってくらい上手く書く。
東野圭吾の「手紙」が好きならおすすめ。って手紙よりだいぶ前に書かれた作品なんだが。