『敗北と死に至る道が生活』その1883
カーナビのオープニング画面がサンタの格好をした女子になっていて、こんなヤツに道を尋ねるか?道案内ならむしろトナカイじゃねぇの?的なむかつくクリスマスイブの夜、みなさまいかがお過ごしだろうが私の知ったこっちゃない。ケンタッキーが激混み的な噂を聞いたり聞かなかったりする。私はこんな聖なる夜にも洗濯機を回して階下に迷惑をかけているのかもしれないし、それ以前にケンタッキーと洗濯機をかけているのかもしれない。こんな日だからこそ焼き魚と味噌汁という正当な食事をしてやった。ざまぁみろ。
大体キリスト教の楽しい部分だけ持ち込んで何がパーティーだ。七面鳥など食ったこともないくせに何がニワトリで代用だ。イタリアの教会のお祈りをする場所には大理石が置いてあってそこにひざまずくのだ。庶民には集中力が無いから「痛み」で精神統一させるためだ。座禅も少々の苦痛を伴うのだ。浮かれ気分もそこそこにさよならパーティーしたまえ。そして昨日が何の日で休みだったのか。皇紀で言うと今が何年になるのか。それが西暦以上であることを知っているのか。葬式を仏教でやるのならお釈迦様の生死が何月何日だか知っていて当然だろう。浮かれぽんちめ。
さてと、枕元に大き目の靴下を置いてから寝るとしよう。メリークリスマス。メリーって何よ。