『敗北と死に至る道が生活』その1911
安いシャンプーは詰め替え用だけ売っていて本体を見かけないがどうなってんだろうか。もしかして詰め替え用しか作ってない?坊主で TSUBAKI なんぞ使っていてもキューティクルが光った瞬間に刈り取られるのが関の山。私が中学生だった頃、人のことを「~選手」と呼ぶのが流行っていた。「~君」だと水臭いし呼び捨てるほどの仲でもない場合。「~選手は何部なの?」
将棋部だったりする。
桜田淳子がまだ壺を売っていなく、「道に落ちている何か。プライスレス」などと言いながら落ちていたガムなんぞを拾い喰いしても大丈夫な平和な昭和50年代。中学生だというのに休み時間に追いかけっこをしていた。私が追いかけていた。相手は走り逃げながらいきなり前のガラス戸をしめた。私はそこに思いっきり突っ込んで行った。割れたガラスが首に来ていたら・・・。
今考えたら死んでいてもおかしくない状況だった。手を少し切ってガラス代を払わされただけで済んだ。親が払ったんだが。今考えると親には感謝の気持ちと謝りたい気持ちと沢山あるのだが一度も言ったことが無い。そんなテレビ番組でもあれば手紙を書いて母を号泣させる用意はいつだってある。「せっかくのすきやきなのに、ふりかけかけてごめんなさい」。泣くか?
バイクで居眠り運転も2回やってハッとした。車と同じで昼食後の暖かい日の長距離ツーリングは眠くなったりする。今考えたら死んでいてもおかしくない。あなたにも数回あるだろう。ふりかけたことが。