『敗北と死に至る道が生活』その2307
また同じ日に赤羽に行ってましたというメールをもらった。ということは毎週誰かしら行っているということかもしれない。駅が大きくて少し歩くと荒川があって散歩には丁度いい。すごく並んでいるうどん屋が気にはなるが入ったことが無い。赤羽駅って意識しないと分からないけど青水門をイメージして作られている。そう知ってから分かるが知らなければさっぱり気がつかない。
先日ハンバーガー屋のベンチに中年女性グループが座っていたので並んでいるものだと思ってその次に立っていたら、店員がオーダーを取りに来たとき「ごめんなさい。年寄りだから座らせてもらってた」となんとも間抜けなことを言っていた。「年寄りだから」という言い訳で社会に甘えているのだ。たまたま読んだ仏教書に自分の能力を蔑(さげす)むこともエゴのひとつであると書いてあった。
年寄りだったら様々な経験から「混んでいる店の椅子に座ったら並んでいると勘違いされる」ということが分かりそうなものだ。今まで生きてきた経験を急に忘れて年寄りだから・・・。実際の年寄りにも失礼だ。弱者を武器に世間に甘える大人というのがいる。税金を払っていることを武器に役所にたてつく輩もいる。役所勤めの人だって税金払っているのだ。曽野綾子さんの本を読めといいたくなる。
とある事情でハンバーガー屋を食べ歩いてはみたものの、結局はバンズが似ている。パンまでは焼いていないのだから同じようなところから仕入れているのだろう。中の具もそんなに劇的に変わる物でもない。結局はある程度の水準の店が乱立しているだけだったりする。私が捜し求めている味はニューヨークで食べた「SHAKE SHACK」だが、多分日本人受けしない。塩コショーをかなり抑えて肉臭いのだ。
結論。焼き魚のおいしい定食屋へ行こう。