『敗北と死に至る道が生活』その2342
ビワを買ってきて食べた。何故ならば買わずに食べたら犯罪だからだ。そっちじゃない。男はビワが好き。だと思うが違うか。この時期になると無性にビワが食べたくなるが、いざ食べてみると、さほどおいしくもないのだ。「そんな時期が今年もやってきたか」的な味わいでしかない。だからメロンのうまさは犯罪的だと思う。そんなことはどうでもいいが『怒らないこと』が面白い。今一番のお勧めの本だ。たまにすごく笑わせようとしていて読みやすい。訳者が書かれていないのと、「私の日本語では」とあることから、本人が日本語で書いているらしい。スリランカのお坊さんである。
私は昔、少々のことでもむかついてしまう人だった。たいていは相手のミスだが、よかれと思ってやってくれた上でのミスになんでそんなに怒る必要があったのだろう。翻って己自身に鑑みればミスは誰にだってある。イチローだって4割いけば大したものだ。私自身の甘ったれたわがままも多かった。他人が施してくれるほど偉いのかと。何様のつもりだったんだろう。
恥ずかしい過去なので消しゴムで消せたらと思う。そんな消しゴムが売られていたら買うだろう。みんなで買ってみんなで消したら歴史が丸ごとなくなってしまうかもしれない。そんな消しゴムが売られていなくてよかった。
「怒る」ということは相手の打撃を倍化させるだけだ。つまり相手をより一層価値の高いものにしてしまう。そしてそれに対して怒鳴れば相手と同じ土俵に乗っかってしまうのだ。そんなヤツの価値を高めてやったり、同じ土俵までわざわざ出向いたりするほうがバカバカしいのだ。この本でも怒っている状態の人間は「肉の塊」だと言っている。動物以下だと。
しかし、怒ったら損だということは分かるのだが、では理不尽な人を見かけたらどうするのか?と思っていたら、100ページあたりから答えが出てくる。なるほどやっぱりそれしかないよな。という解決方法。仏教界のお坊さんもそうやっているんだ。と納得。
ニーチェによればキリスト教は現代には分かりにくいと言っている。もっともニーチェの言う現代は一世紀も前だ。キリスト自体が無性生殖であることからも美化しすぎている。キリスト教の半分は”優しさ”なのかもしれない。その優しさはもしかしたら鳩山首相の優しさに近いかもしれない。一方、仏教は俗的でありリアリズムが多い。実社会というのはドロドロしていて理想論では成立しない。ダライ・ラマやマハトマ・ガンジーの優しさは厳しさでもある。
次に読むのはこれだ。