『敗北と死に至る道が生活』その2524
読売新聞の編集手帳に「結局全部母の日」という記事が出ていた。私が思っていたことなので脳みそからパクったのだと思う。ヒトが成人するということはそこまで育てた親が偉いのであって、成人の日は「母に感謝すべき日」だなと思う。母が生んでくれて、父は「お前なんか生んだ覚えは無い」と言い、毎日毎食食事を作ってくれ、洗濯機に洗濯物を入れたら自動的に畳まれて出てくるのは母のおかげだ。だから全部の祝日は母の日だ。建国記念日だってそれを認識して休みを満喫できるのも母が生んでくれたからだ。父には「生んだ覚えは無い」と言われるが。確かに父から生まれた記憶は無い。とは言え母から生まれた記憶も無い。橋の下で拾ってきたと言われても完全には否定出来ない。なんで昔のヒトはよく「橋の下で拾ってきた」って言うのだろう。武道館でミヤジが「また契約切れるかもしれない」と言っていた。この感覚というのは非常に重要で、私も正社員でないので常に「契約切れるかもしれない」と思っている。そういう危機感がないと前へ前へ行かない。正社員ほど危機感が無い気がする。「会社はそう簡単にクビに出来ない」という意識がどこかにあるのだろうか。派遣村の村民はそんな危機感がなかったから切られて右往左往していたのだ。
特にコンピュータ業界は朝学んだ知識が夕方使えなくなっている。そんなことはないがそういう感覚で進んでいる。全社員がパソコン抱えて仕事なんて1995年以降の話だ。Windows95が発売されたことが画期的だったのだから。なので常にIT系の書籍を購入して勉強している。こういう業界は若くないと出来ない説があったのだが、私は逆に現在の若者の方が大変な気がする。私の時代は時系列に技術が進んだので徐々に理解できたからだ。今は色んな技術が既に確立されてしまってどこから学んだらいいか分からない。技術を高めていかないと自分の価値が上がらない。こうして価値を上げていけば契約を切られても「次がある」という自信にもなる。
ユニバーサルとの契約が切れることはない。と、みんな思っているが将来何があるか分からない。今現在でも危機感を持っていることは大切な感覚だ。