『敗北と死に至る道が生活』その3869
明日も週末も来年も予定があるが死ぬ予定がない。確実に訪れるのに。カレンダーをめくったら2015年もペラペラになった。いよいよ11月も終わり。というか今日という日は1日毎に終わる。24時間かけて時速1時間で1日は過ぎ去ってゆく。年末も年始も3.11も8.15も9.11も大切な1日には変わりないし、2015年11月30日はあなたにも私にも人生で1日しかない1日なのだからもっと大切にすべきだ。今日が誕生日だという赤子もいることだろうし、残念ながら今日死んでしまった人もいるだろう。こんばんは。
恐らく多くの方が明日も生きている予定で過ごしている。週末の予定もたてている。予定がないという人も「予定がない」だけで「自分がいない」という予定ではない。それはいつまでなのだろう。81になる母もカレンダーに通院の予定を書き込んでいる。それはいつまでなのだろう。日常の連続に点として死がある。3年前、父は普通に豆まきした夜に寝、早朝逝ってしまった。点に向かって線がある。死に至るのが生活とは、けだし名言だ。ハレとケも死も日常の一部だ。悲しみの中にも洗濯という行為がある。喜びの中にも排泄という行為がある。失恋の中にも食事という行為がある。2100年にも布団は干されている。愛すべきは今日だ。
