『敗北と死に至る道が生活』その4298
鹿児島の水族館は何もいない水槽を展示してある。意味ありげに。受け手に考えさせると空虚も宇宙だ。インプット100行を並べ替えて出カが98行で、平気で「テスト終りました」という人がいて、常人の頭では理解出来ないのだが、それでなんで「テスト終りました」なんだろう。問い詰めたら、テストのやりかたが分からないのだという。常人の頭では理解出来ないのだが、テストが出来ないくせにプログラムは組めるらしい。プログラムなんて1行単位に小さなテストの繰り返しだ。自分の意図するとおりにプログラムが組めているかどうか常に確認している。関数はそれを呼び出す小さなテスト関数で最小値、最大値、しきい値、範囲外といった引数を渡して見て動作を確認しながら組む。私クラスになると頭の中身を吐き出すだけで一発で動作してしまう。ゆくゆくは頭の中身を吐き出さなくとも動作するようになるだろう。
全体が完成したら単体テストを行う。仕様に書かれていなくたって今まで生きてきたのだから、常識である程度は分かるはずだ。100行を並べ替えたら100行あるのが普通だ。テストが出来ない人はプログラムが組めるなどと言わないで欲しい。ファイルサイズやレスポンスに気を使わない人もプログラムが組めるなどと言わないで欲しい。小学生にやらせてるんじゃないんだから。小学生なら教えてやろうと思うが、大の大人には教えたくない。今まで生きてきて分からない奴に教えたからって急に分かるとも思えないのだ。町のヤカラにも言える。変な人に注意などしないことだ。刺される。
でもこういう人が「ユーザー」の立場で使うことも想定すると、こういう人の思考回路を理解することも重要なことではないかと思う。こういう人がユーザーだと「100行入れたのに98行しか出てこない。システムがおかしい」と言うらしい。なんだよテスト出来てんじゃん。常人の頭では理解出来ないのでなかなか難しい。いやいや視力が悪い人は保護されるべきだし、聴力が悪い人も保護されるべきだし、知カや能カが悪い人も保護されるべきなのだ。それがダイバーシティ。自動車メーカーも家電メーカーも同じことを考えているらしい。想定外の脳みそにも合わせないといけないのだ。
近い未来に「うちのチンパンジーが使えないから直してくれ」にも対応しなければならなくなる。いろんな意味で猿の星である。