『敗北と死に至る道が生活』その4539
アマゾン倉庫の番組を見た。想像以上の倉庫だった。勝手に「理路整然と整っている」と思っていたが、むしろ「整ってはいない」倉庫に「品物が整っている必要はない」という考え方に衝撃を受けた。言われてみればその通り。どこに何が存在しているのかを管理できれば「どこに何があったって構わない」。本とコーヒーが同じ枠にある。たまたまそうなっただけだ。入荷したら空いている近い場所に入れてしまえばいい。出すときはロボットが棚を人間の近くまで運んでくる。従業員はどこに何があるかなんて、考えなくていい。素晴らしい。尤もアマゾンが考えたのではなく、そのような仕組みを持つ倉庫会社を買収したらしいが。どこに何があったっていいというのは、実はパソコンのファイルもそうだ。OSがそれを知っていてファイル一覧からダブルクリックすれば読み取れる仕組みさえあればファイルがハードディスクのどこにあるかなんて知る必要もないし、むしろ知れない。
同じフォルダに入れた2つの画像ファイルがハードディスクの真逆に配置されているかもしれない。もっと分かりにくいことを言えば1つのファイルが一か所にあるとも限らない。分割して書き込まれているかもしれない。呼び出したら結合して、あたかも1つのファイルのように振舞ってくれればそれでいい。
未来の宅配はどうなるんだろう。恐らく頼んでいないものまで届くと私はにらんでいる。それが何を意味するのか現時点では私もよく分からない。