『敗北と死に至る道が生活』その4871
今から不謹慎な事をかくので、「あ、不謹慎な事を読まされるのだな」と思って頂いた上に、不謹慎な事など読みたくないという人は今から離脱してもらって、どうか「それは不謹慎だ」などと反論しないでください。で、「コロナで修学旅行に行けない」という状態の学生を羨ましく思う。修学旅行というのは誰もが楽しんで思い出になる。という設定で世の中回っているが、私は当時、苦痛でしかなかった。泊まる部屋なのか、自由行動の班分けなのか知らないが、先生はこう言う。「適当に班を分けましょう」と。今時は強制的にやってくれるのかどうか、私には子供がいないので知らないが、当時は気が合うもの同士が、「じゃ一緒になろうか」などと気軽に固まりが出来てゆく。友達がいない私は一人でうつむいたままだ。先生が仕方なく人数合わせで、ここに入りなさいと言う。どこにもなりたくないのだが、目立つのもイヤなので何も言わずにそこに組み込まれるが、そのグループから見れば、なんでコイツがうちの班なんだよ。と思う筈だ。バスの中でも隣になる人は可哀想だ。ノリも悪いし乗り物酔いで気分も悪いし、行きたくないし、早く帰りたいし。今だったら「行かない」と言えるが、当時は何も言えなかった。だから、修学旅行の無いコロナ禍が羨ましい。そして今、職場の歓送迎会は無くなり、暮らしやすくなった。コロナが終息しても断りやすい状態だし、ましてや修学旅行などにも誘われないだろう。いい時代だ。などと言ったら不謹慎だろうか。