管理日誌エッセイ
『敗北と死に至る道が生活』その5
私はどちらかというとセコい人間なので、ごまドレッシングのゴマが非常に気になるのである。
1.成長時、鳥や虫に食べられてしまうゴマ粒。
2.収穫時に土に零れ落ちるゴマ粒。
3.出荷作業で袋詰される時に零れ落ちるゴマ粒。
4.ドレッシング工場で加工される時に零れ落ちるゴマ粒。
こうした難関をかいくぐって瓶詰めまでたどり着いたゴマであるが、サラダにかけられて口にまで到達出来ずに皿の片隅に残ってしまうゴマ粒がある。あなたはその粒を数えたことがあるだろうか。
極端に言うと食べられる数より多いかもしれない。
これと同じ理由で明太子の粒もペロペロ舐めてしまい『いつの間に皿を洗ったの』と言われてしまうし、歯磨きの最後まで絞りきれない奴等をチューブをぶった切ってブラシになすりつけるという情けなさなのだ。流通過程で附着するくらいだったら鱈ごと明太子に漬けて鱈ごと喰いたいとさえ思う。だからといってチューブごと歯を磨いたら血が出てしまうかもしれない。
『最後までたどり着いたにも関わらず利用されない奴』というものに非常に哀れを感じてしまうのだ。だからパセリだって喰うさ。
しかしながら、ひとたび銭湯などに行けばお湯や水をそれこそ湯水のように使ってしまう。