『敗北と死に至る道が生活』その150
銭湯で牛乳を飲むときは腰に手を当てるという使い古された牛乳の飲み方があるが、あれは間違っている。そもそも銭湯で飲むものは『いちごの牛乳』か一体どんなコーヒーを混ぜたのだろうと思わせる『コーヒー牛乳』だからだ。だとすると一体、腰に手を当てるのは何の意味があるのだろうか。問題はきっと『瓶が片手で持てる』といった利便性からくるのではないだろうか。もう一方の手のやり場が無いのだ。あれがバケツ一杯の牛乳だったとしたら一体誰が腰に手を当てるというのだ。もしかしたら番台のスケベ親父が腰に手を当ててくれるかもしれない。『両手でバケツ一杯の牛乳を飲みながら番台のオヤジが見ず知らずの人の腰に手を当てている』
近未来としか思えない光景である。