『敗北と死に至る道が生活』その216
先日新聞を読んでいたら、(音)クラシックの演奏会で演奏が終わったらいきなり(W)拍手をする人がいるので余韻が味わえないという記事が載っていた。海外では考えられない事態だという。もし海外でそんな行為をしたら演奏者に対して、終わったらさっさとステージを降りてくれ。という意味にとられるらしい。私が気になるのは掲示板やメーリングリストで『はずしてたらごめんなさい』とか『既に知っていたらごめんなさい』と書く人のことだ。下手に出ているので悪いことではないが、あまりにも気が小さすぎる。『はずしている』とか『知っている』というのは見る側がそう思うだけであって書き込む人はどんな人が見るか想定できない。知らない人には有益な情報だ。普通に書き込めばいい。
問題は『知っている人』のなかで『そんなの知ってるんだよ』とおおっぴらに言う人がいるということだ。知っているのだったら黙っていればいい。誰だって知らない時代があった筈だ。
『クラシックの演奏会で演奏が終わったらいきなり拍手をする人』が何故いきなり拍手をするのかというと、終わりを知っている。つまりその曲を熟知しているということを他の観客にアピールしたいからだと考察されていた。つまらない見栄だ。私は何か聞かれても常に『知らない』と答えることにしている。おかげで最近は誰からも何も聞かれなくなった。風通しがいいのである。
とはいいながらもトリビアの泉で全く役に立たない情報をせっせと仕入れているのも事実だ。かたじけない(汗)