『敗北と死に至る道が生活』その4471
例えばセクハラは「被害側がセクハラだと思えばセクハラだ」という事実。イケメンに言い寄られたらほくそ笑むくせに、デブハゲオヤジから言い寄られたらそれはセクハラになる。同じ行為でも受け手の意識ひとつで事実が判断される。なんだか採点競技より一方的だ。全てが奈良判定。何もしていなくても相手がそうだと言い張ればそうなって冤罪につながる。これには納得がいかない。しかし最近聞いた、体操のコーチがパワハラで解任されたという事実に対して選手側が「パワハラを受けた覚えは無い」と言い出したということ。「被害側がパワハラだと思えばパワハラだ」の真逆。被害側がパワハラだと思わなくてもパワハラになる。被害側がそう思ってないならいいじゃないかと思っていたが、それはダメだ。周りが見て殴っていたんだったら、両者が「それでいい」と言ってもダメだ。虐待されている幼児が「お母さんはやさしい」と言っているようなものだ。