『敗北と死に至る道が生活』その297
私はこう見えても思いやりを大切にしている。部屋の壁にはばかにお洒落な思いやりが2、3枚飾ってあるくらいだし、もちろんライセンスも持っている。と言っても通信教育の方だが。思いやり初段ともなれば、時には「自分のことなんかどーだっていい」とさえ思うのだ。電車で腹が立っている妊婦がいれば、席を譲るどころか、代わりに産んでさしあげるし、信号を渡ろうとしている老婆が入れ歯だったら、手を引いて渡るどころか代わりに渡ってあげるようなありさまだ。我ながらなんていい人なんだろう。
日本で一番思いやりがあるのは誰に聞くまでもなく私なのだ。先日もたまたま通りすがった家が火事だった。私は迷わず火の立場を考えて急遽ふいごを作ってしまった。時にはミュータンス菌の立場まで考えて、歯を磨かない日々だ。彼らは酸素が嫌いだと聞けば呼吸を止めてみたりもする。少し苦しいが俺が苦しめば彼らがハッピーなのならそれでいい。おかげで歯医者まで商売繁盛だ。思いやりが服を着て歩いているようなもんだ。
私以外の人が幸せならばそれでいい。平和だ。如実にそう思う。