『敗北と死に至る道が生活』その324
(音符)音楽や(本)文学は作者死後50年で著作権が切れる。だから昭和初期の作家の作品は無料だ。(PC)インターネットから無料でダウンロード出来る。夏目漱石や太宰治の作品をダウンロードし、モバイルに入れておけば旅先で本が読める。(走)走りながら走れメロスが読めるが読みにくくて仕方がない。しかも私はメロスではない。もちろん古本の方が便利な場合もあるが、こういうのもありかもしれない。ただ自宅のパソコンに入れて読む気にはならない。これはどういうことだろう。パソコンは(PC)画面を見つめなければならない。「手のひらで読める」というのは人間にとってかなり重要なことなのかもしれない。っつうか寝っ転がって読めるということか。っつうかモバイルでケツは拭けない。固かった(顔青汗)。
寝っ転がって、重たい単行本を読んでいると腕が疲れる。試しに広辞苑第五版を両手で持って寝っ転がってみるがいい。しばらくすると両手が震えてくるだろう。広辞苑を読んで感動して体が震えているようだ。辞書で何に感動しているのだ。
だから横を向いて本を置いて読む。右側を向けば左のページが読みやすい。だが、右のページの場合凄く読みづらくなる。こうなると今度は左側を向く。ページが切り替わる毎に体も切り替わる。パタパタしてしまう。仕方がないから頭の上に本を逆さまに立てて置いて、首を伸ばして見たりしている。ひっくり返された亀か私は。余計に寝付けなくなる。夜中に一体何をやっているんだ。
例えば右のページだけで成り立っている小説があったらどうだ。そして左側だけを読めばもうひとつの小説になっている。そういう形態の本もあればいいだろう。うつぶせで読める本もあったらいいだろう。5cm先の文字が20cm先くらいに見える本だ。微妙な投影法でなんとかならないもんか。試しにレンズを逆から見てみたがレンズはレンズだった。一体凹凸の凸の書き順はどうなっているんだ。トリックアートの人たちは無駄な仕掛けばかり作らないでこういうことに頭を使えばいいのだ。トリックアートの人って誰だ。世の中不思議だらけである。
更に言えば1行目は上から下へ読み、2行目は下から上に向かって書かれていればいいだろう。下から上に戻るときにどこの行に戻ればいいか分からなくなることがあるからだ。昔の日本語は右から左に向かって書かれていたのだから特に変わった意見ではないはずだ。そう考えてみれば今の形態の本は文章がぶつ切りにされているのだ。作家に対して失礼ではないか。だが作家もそうやって書いているから事は複雑なのだ。人は馴れ親しんだ社会に対してあまり疑問を抱かない。
と書いたこの文章も左から右へ読み、一気に左へ戻る。一気は体に良くない。人は無意識かつ瞬間に凄いことをやっているものだ。
どうせパソコンなんだから本のような形態でなくてもいいだろう。究極的には1行であって欲しい。1行が延々とスクロールしてくれたらそれでいいのだ。街や(新幹)新幹線の中で文字ニュースという電光掲示板が既にある。あれで小説を流したらどうだろう。やっぱり読みづらい。
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