『敗北と死に至る道が生活』その525
赤坂ブリッツも新宿リキッドルームも既になくなったらしい。あいたたた。私は人の運命というものに非常に興味がある。例えば地方の人が東京に来ることはあまり興味が無いが、東京の人が地方に行ってそこで暮らしているとなれば、何故そこなのか、そこでなければいけなかったのか?などが非常に興味深い。千葉の鴨川の寿司屋で働いている人が京都の料亭出身だと聞けば、何故京都の人が千葉の鴨川に行かなければならなかったのかと。もっと別の人生もあっただろうに。
もっと大きな視点で見れば、アフリカの名も知らぬような国で日本人が現地の人と結婚して暮らしているなどもそうだ。なぜそこで暮らしているのか。アメリカだっていいじゃないか。
しかし考えてみれば不思議でも何でもない。人間は生きていればどこかに存在する訳で、それがどこであろうと構わない。私が屋久島の浜辺で寝転がって「こんなところまで来てしまったなぁ」などと瞑想したのも不思議ではなかったのだ。
と考えて納得させてはみるものの、『あの時、あの角を曲がらなければこんなことにはならなかった』なんていう人生がいっぱいあるのだ。そうやって歴史や文明がなりたってきた。運命は面白いものだ。
この面白さを利用し、私がやるのは『信号の指示に従う散歩』というものだ。直進が赤なら曲がる。あとは道なりにどこまでも行く。向こうから犬が来たから曲がる。あとは道なりにどこまでも行く。知らない人から声をかけられたからついて行く。あとは言うなりにどこまでも行く。自分の意志などかけらもない散歩。それが面白いのかと問われれば答えに困るのも事実だ。