『敗北と死に至る道が生活』その633
この年になると何かを買うのも『欲しいから買う』という判断基準ではなくなってくる。すなわち残りの人生との駆け引きになってくる。例えば女性なんか腋の下の永久脱毛なんてのはどうせやるなら早いほうがいい。60歳を過ぎてやっても意味が無いからだ。毛なんかよりも自分の人生が永久ではないからだ。だとすると50歳はどうなんだと。50歳程度ならもう人生半ば諦めて永久脱毛などしないだろう。では40歳はどうか。微妙だ。残りの人生がまぁ少なくは無いと言える。だとしたら永久脱毛なんていう作業は20代にやっておくべきなのだが、いかんせんお金が無いし、『残りの人生との駆け引き』なんていう意識も無い。
そういう意味で私はウォシュレットを買おうかどうか悩んでいる。このまま60歳まで悩むのだとしたら、要らないし、もし買うのならばなるべく早く買ったほうがいいだろう。『残りの人生』がまだ多い方が有効に使える。だから20代で借金しまくって何でも買ってしまえばいいのだ。
でも50歳くらいでウォシュレットが故障したらどうだろう。人生自体が故障しかねない中で私たちはどう生きていけばいいのだろうか。この年になると達観暮らし出来ると信じてきたがどうやら違うようだ。違うようだぞ若者よ。