『神戸ルミナリエと東京ミレナリオはネーミングのいやがらせだと思う生活』その810
私ははっきり言ってケチだ。日々1円単位まで管理している。10年くらい家計簿をつけ続けている。長続きのコツは伝家の宝刀『使途不明』を使うことだ。ちょっとした散歩や小旅行、ましてや世界一周などすると、その間の支出がよくわからないのである。たいていはレシートをもらうのだが、『峠の茶屋で食うダンゴ』や、『リスボンの港町で買った何か』などはいちいちつけない。それこそプライスレスだ。旅先でそんなことまで気にしていたら快適な空の旅など出来はしない。だからある程度家計簿をつけて合わなかったら、合うように『使途不明』で調整する。会社の経理ではないのだ。私が人にこれを説明すると、『そんなことじゃだめだ』と言われる。
その人は家計簿を毎年つけようと試みて一と月程度でやめてしまう。勘定が合わないのがいやなのだという。9割でいいじゃないと思う。9割りで10年以上続ける状態と完璧を目指すがゆえ続けられない状態とどっちがいいのか?
『完璧を目指す人』というのは『完璧』でないと分かると一気に『0割』になってしまう。”柳”や”飛行機の翼”など遊びがあって不完全なものほど強いものだ。人間もいい加減に生きていたほうがストレスもなくていい。私は肩こりという状態がどういうものか知らない。
ちなみに私は『A型』である。A型が完璧主義者なんてうそっぱちだ。今日の日記は真面目に書きすぎて肩が凝った。