『哲学的生活』その871
今日仕事をしていてつくづく思ったのだが、コンピュータはデータを分析することを最も得意としておきながら、その処理をさせるプログラム自体は”データ”でないから最も分析が不可能なのだと。最近はネットでの文章検索もなかなかのすぐれものでキーワード1つ、2つ、3つ複合すればたいていの知りたい情報が出てくる。しかしプログラムだけはどこでどういう処理をしているのかは人間が判断しなければならない。
キーワードでソースを GREP してみても、『あたりがつく』だけであって、その前後の文脈を解析しないとどういう処理なのかがわからない。少なくとも関数・クラスは変数・処理を一体化させた状態で『データ』として、ソースコード自体をデータベースに放り込んで自動的にプログラムが生成されるべきではないだろうか。と叫ばれて、はや10年。10年ったって私の妄想が始まったのが10年前なだけだ。まぁそんなことが実現された暁には私が仕事を失うことになるのだが。
矛盾するようだが、コンピュータ業界が最もコンピュータを利用しにくい業界なのだ。事務の人はいいなぁ。私が事務系の仕事だったら最も効率的にコンピュータを利用することだろう。