『生活ならば。』その1350
最近のダウンタウンもどうかと思うが、ガキ使なんかやめてあの時間帯を千原兄弟に譲ってしまえ。司会で適当なこと言ってたら金が入ってくるようなテレビ局も悪い。そこいくと爆笑問題はエラい。『笑っていいとも』にいまだに出ているのが素晴らしい。しかし松本の言うことには納得がいくことが多い。
昨晩言っていたのが、空港で搭乗券を見せてバッグを機械に通して行くことが初めてのおばさん。搭乗券を見せることを知らないため、かばんの中からゴソゴソ取り出す。挙句の果てにかばんを持ったまま通ろうとする。ここまでは初めてなのだったら仕方が無い。問題はそれを見ていた次のおばさん。全く同じことをやらかしたのだと言う。アメリカに行ったとき、前の女性が靴まで勢い良く脱いでスタスタと通過したときは大変気持ちのいいものを見せてもらった。
うちのグループにもいる。『ORACLEに繋がらないので調べて欲しい』とだけ聞いてきた。どのインスタンスにどのユーザーでつなぎたいのか全然記述が無い。どんな情報を出さないと調べるとき困るかがまるっきり分かっていないのである。それでも技術者かよ。きっとORACLEに対してもどのインスタンスにどのユーザーでつなぎたいのかを指示していないのだろう。だから繋がらないのだ。
私はこういう学習能力の無い人には少々暴力的である。せっかく脳みそがついているのに利用していない。こういう人に何を教えても無駄だ。だから『どのインスタンスにどのユーザーでつなぎたいのか教えないと分からないだろう?次から気をつけな。』とも伝えない。バカはバカのまま放置だ。なんで私が教育しなきゃならん。
そのくせ食事を食う能力は備わっている。くだらない冗談に笑う程度の能力はある。ディズニーランドに行けば楽しいという意識はある。学習能力のない人にはディズニーランドに行ったら苦痛になるような精神構造にしたらいい。こういう人が楽しそうに笑っている姿を見るとなんだか哀れだ。
同じ事を何度言っても分からない奴は、言っていることを理解出来ていないのだろう。理解出来ないということが理解出来ない。アメリカもそんな気分なんだろう。
だとしたら私が狂っているのだ。