『敗北と死に至る道が生活』その1754
ブルネイ国王と王様ゲームやったら面倒くせえだろうな。そんなことはどうだっていいが、スイカぐらい大きい桃をまるごと食べたいような日だった。でも、桃程度の大きさのスイカでもいいかも。クジラもハマチ程度の大きさだったらグリーンピースにやいのやいの言われなくて済んだかも。ということはハマチ大のクジラを養殖すればいい。そしてヤツ等の大好きな牛をクジラ程度に巨大化してやったらどうだ。巨大な哺乳類は殺しちゃいけないんだろうが。むしろ喜んで喰うかもしれない。だめだ。喜ばしちゃだめだ。クジラ大のハマチがあったら超うれしい。出世魚だからそんなに大きかったら名前が違うと思うが。妄想に現実で突っ込む意味がよく分からない。
たかじんに横田夫妻が出ていた。横田さんは娘のことから北朝鮮の国民のこと、日本の国の体制まで心配しておられた。なんで被害者がそこまで考えなきゃならないのか。声を荒げるでもなく冷静に怒っているその姿に、私はテレビ画面の前で姿勢を正した。
勝谷さんが横田夫妻にめぐみさんが帰国したらどうしてあげたいかを問うた。お父さんは、洗脳されているだろうから、今の日本のいろんなことを見せてあげたい。お母さんは、私はなにもせず、広い草原やら好きな所に自由に行かせて自分の好きなことをさせたい。と答えた。声のトーンが一段上がっていた。私は泣いた。
国家はあんなザマで、めぐみさんや拉致被害者のことを何も考えていない。個人が立派で国家が貧弱なこのクニを私はどうしたらいいのだろうか。
私はめぐみさんと同年代。めぐみさんのことを決して忘れない。決して。無事の帰国を祈っている。
素直に今を生きられりゃあ、どんなに、どんなにいいだらう。
素直に生きてゆけりゃあ。
遠くビルの向かうに、光る星に願ひをかけよう。
俺は祷った。忘れてしまった遠い遠い月日に。
俺は祷った。めぐり合ひし人々に、感謝したのさ。
なぜだか、そんな気分だった。