『敗北と死に至る道が生活』その1773
先行予約ってやっぱり1日だけか。どっちかは一般発売で取るしかない。これは宮古島で単純に綺麗だと思って撮った花。
そんなことも忘れかけていたら7/28サンケイ新聞朝刊にこの花が出ていた。絶妙なタイミングなので、私に知って欲しいということだろう。この花はテンニンギク。別名「特攻花」。「特攻花」の代表はもちろん桜。潔く散って靖国に帰る。知覧のホタルなど各地でエピソードがある。鹿児島県喜界島の「特攻花」はテンニンギク。この花をテーマにした仲田千穂さんの写真展が銀座であったので行ってきた。
太平洋戦争末期に散っていった特攻戦士。主に鹿児島県知覧、鹿屋、喜界島から片道分のガソリンで飛び(帰還の可能性も考えて往復分だという説もある。上官、状況によってまちまちだったと考えられる。)、開聞岳を富士山と見立てて日本に別れを告げ、南洋上にいる米国艦隊のわき腹(燃料タンク)めがけ体当たり。実際は艦上から総攻撃され単機で墜落のほうが多かった。それでもどうせ落ちるならなるべく船に近づこうと必死にコントロールしながらせまってくる日本人が本気で怖かったと米兵は言う。
『俺たちは、後に続く青年を信じて、喜んで、祖国に殉じてゆく。生き残った青年が、立派な日本を再建してくれると信じ、安心して死んで行く』
これは、三人共通の、願いであり、信念であった。
それでは、もう時間がない。ただ、今願うのは空母撃沈のみ。
お父さん、さようなら。お母さん、さようなら。
お母さんの写真を抱いて、喜んで死にます。御安心下さい。
米兵からみればキチガイ沙汰だが、突撃前にこんな句を読んでいる人たちがキチガイな訳が無い。時代背景と幹部の暴走か。平和な時代の我々にとやかく言われたくないだろう。
人的資源と名機零式艦上戦闘機(零式(れいしき)とは皇紀2,600年の零.ゼロ戦と呼ぶのは戦後の話だ)を同時に失う戦略に踊らされ、”平和な時代への過渡期に生まれてしまった”青年たちには常に感謝の気持ちを忘れないようにしている。甘ったれた若者を見るたびに特攻戦士はこんな日本にするために突っ込んでいったんじゃないと憤るのだ。
飛び立つ直前の戦士に地元女学生がこの花を渡した。あと数時間で散り行く戦士は”花まで散るのは忍びない”と、滑走路脇に置いていった。幾人もの特攻戦士が花を置いていったため、自然と滑走路の脇に特攻花の花畑が出来たという。女性が女性らしく男が男らしい時代の輝かしいエピソードではないか。長崎、広島、呉、江田島、知覧、鹿屋、那覇と戦争をめぐる旅をした私もこの花の話は知らなかった。
そんな花の運命もつゆ知らず、のんきに写真を撮っている自分。改めて平和な時代をありがとう。とあの時代全ての人に言いたい。
「ひめゆり会館」では当時を知るおばあが解説していた。当初「ひめゆりの洞窟」ははしごがかけられて入場する観光客からお金を取っていたそうだ。人が苦しんだ場所で金儲け。それを見た青年が土地を買い取り記念館にしたと教えてくれた。”伝える”から”伝わる”。それがメッセージ。
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