『敗北と死に至る道が生活』その1851
え、まだブルーレイじゃないの?フロッピーが zip ドライブになって大喜びしていた。CD に書き込めるようになったときには驚愕したものだが、更には DVD が自宅で作れて4.7Gかよと思っていたらブルーレイには50Gも書き込める。とは言え10年後にはもっと書き込めるだろう。何を書き込めばいいのだ。無駄な情報が多いより必要な少ない情報が整理されているほうがよっぽど良い。そして既にZIPもフロッピーも読み出す装置が売っていない。
昔のテレビは互換性を大切にされていた。白黒がカラーに!という驚異の技術に移行したときを思い出して欲しい。ったって知らないか。私もよく知らない。小学生の頃は既にカラーだった。白黒をカラーに移行したときは白黒テレビを持っている家庭はカラー放送がそのまま白黒になって見られるというものだった。考えてみれば不思議な技術だ。この技術のおかげで白黒テレビの家は何も考えなくてよかった。
モノラルがステレオや二ヶ国語放送に移行したときも、モノラルテレビの家庭にはステレオ放送が左右まざってモノラルとして処理された。二ヶ国語放送は主音声だけ聞こえた。この技術のおかげでモノラルテレビの家は何も考えなくてよかった。
つまりは、買い替えをしなくても次の技術に進化してきたのであるが、地デジってやつはテレビの買い替えが必須とされた。本当は出来るはずだ。既存のテレビをそのまま使い続ける技術があったはずだが、なにかの陰謀で買い替えをせまられている。通産省と経団連だろうか?
そんなに質の良いハードウェアに民放のソフトウェアが伴っているだろうか?どうせくだらねぇバラエティーしか出来ないだろう。