『敗北と死に至る道が生活』その1934
パリ、ニューヨーク、ローマで信号を守っている歩行者はいない。信号は何が目的か。交通を制御する。私たちが信号を守るのは手段であって目的ではない。目的は「向こうに渡る」ということだ。車は機械なので機械的に制御されるべきだと思うが、歩行者は機械なんかよりよっぽど柔軟に判断が出来る。柔軟に判断できない子供や老人は守ったうえで確認した方がいい。
目的と手段を混同している人はきっと信号をきっちり守っている。私は信号が赤だろうが青だろうが知ったこっちゃない車が来なければ渡る。それは危ないって言われる。逆に信号を守る人は歩行者信号が青になると渡ってしまう。このとき車が来ないと信じている。こっちのほうがよっぽど危ない。
中には人が歩き出すとつられて歩き出す人もいる。私は赤でも渡ってしまうのだが、そういうつられて渡る人は車がくるか見ていない。信号を無視するなら理解した上で無視して欲しいものだ。
とは言え、子供が見ていたら、お母さんが説明しにくいので待つこともある。
盲人用の信号はなぜか「通りゃんせ」だ。「どうぞ通りなさい」という曲だから選曲されたのだろうが、途中から歌詞が「御用のないもの通しゃせぬ!」ときた。私みたいに目的もなくそぞろ歩いている奴は通るなということか。。。。