『敗北と死に至る道が生活』その2469
「出来ないことをやらない」というのも一つの礼儀であると思う。もちろん個人レベルでは「出来ないことでも一生懸命やる」は大切なことだが、これが公のことになると迷惑なのだ。例えば私に管理職は無理。年齢が行ったからと言ってみんながみんな管理職に向いているとは限らない。私は今でも技術職。以前勤務していた小さな会社では課長にされそうだったので辞めてしまった。私のような人間に管理される若い人はたまったものではない。
ところがそれに気づかずに課長職や部長職についてしまう人間の多いこと。「出来ないくせにやっている」。昔、政治評論家や音楽評論家は「自分でやりもしないくせにウダウダ言うな」と思っていた。「そんなに評論するんだったら自分でやってみろ!」とも。政府を批判するコメンテーターには「だったらあんたが政治家になれ!」とも。
しかし今は違う。「出来ないことをやらない」というのも一本筋が通っている。これに「評論するんだったら自分でやってみろ!」を当てはめてしまうと世の中の事象に対して何も言えなくなってしまう。
だから評論家というのはあれでいいのだと思う。政治家の器じゃない人が政治家をやっている。「出来ないことをやらない」というのも一つの礼儀であると思う。