『敗北と死に至る道が生活』その2585
こうは見えても私にも小学生の頃があって、当時そろばん塾が流行っていた。姉のそろばんをひっくり返して廊下をダーっと滑ってよく叱られたものだ。叱られなければ今頃、光GENJI出身だったかもしれない。姉が3級をとった時に賞状を貰って額に入れて鴨居のところに飾っていた。私はそれを鼻水を垂らしながら見て、自分も賞状が欲しいとそろばん塾に通ったが、父の転勤のせいで辞めてしまい6級までしか取れなかった。
小学校を卒業するときに卒業証書を貰った。私にとって初めての賞状だったので、額に入れて飾ってくれと言ったが、母は「誰でももらえるものだ」と言って飾ってくれなかった。
中学校の卒業では最後の日だからと備品の画鋲をかっぱらって卒業証書を入れる筒に入れて振りながら帰宅したら卒業証書がボロボロになっていた。そんな卒業証書ももはやない。捨てたという記憶もなく無い。あれはどこへ行ってしまったのだろう。フラワーロックというおもちゃは。
6級までしか取れなかったのは「暗算の方が早いじゃないか」という意識がうっすらあったのと、「6級以上は暗算では無理!」という意識がはっきりあったからで、「父の転勤のせい」にしてしまう自分が情けない。