『敗北と死に至る道が生活』その2681
終戦記念日。靖国神社に行けば良かったと気づいたのは夕方だった。外出せずに本を読んでいた。なんか震災以降考え方が変わった。戦争に対する意識。あの戦争は必然で犬死になどと言ったら申し訳ないと思ってきた。それは今でもそうだけど。自己や家族を犠牲にして逝ってしまった兵士への目線。震災以降、国からの目線で思うようになった。兵士は策略のない国家に犬死にさせられたのだ。開戦前には総力戦研究所に「負ける」とシミュレーションされていた。南方で石油を略奪しても運搬中沈没させられることは目に見えていた。海軍も陸軍も互いに石油の備蓄量を極秘扱いしていた。陸軍は開戦時はまず海軍だったのである種流れに任せ、海軍は「戦えないと言えば予算は陸軍に回されてしまう」。そんな理由であの戦争に火をつけたのだ。
広島、長崎の原爆は「事前に察知していた」。軍部や官僚の報告は国に上げられたが「無視」された。国目線で言えばあの戦争は「恥」だ。国民は立派でそれに頼り切っている国家。国がめちゃくちゃな現在を体験して翻ってそう思う。だから田嶋陽子さんの言うことも勝谷誠彦さんの言うことも理解できる。ある事象を左から見るか右から見るか。言ってることは真逆とも同じとも言える。
こんな大事な日に新聞休刊日。勝谷さんは「終戦記念日に休刊する新聞は元旦に休む神社だ。少なくとも明日は、私の不戦勝である」と言っている。私も有り得ないとおもう。新聞休刊日って何だ。しかも一斉に。どっか一社でも出すと複合販売所の人が休めないからだろうか。客目線でなく会社目線だ。「産経新聞は休みません」などと言ったら喜んで宅配を取ってやる。私は元々産経新聞派なんだけど。iPhoneに無料配信なんかしやがるから紙媒体は読売新聞を取っている。
住所は品川区なのだが、目黒の読売新聞しか取れない。一体どういう縄張りなのか知らないが。新聞の折り込み広告”銀のさら目黒店”に電話すると、戸越銀座店からしか配達できないと言う。品川の読売新聞販売所の新聞を配達してくれればこんなことにはならないのだろう。顧客より自分達のシステムを優先している。サービス業ではない。
支給滞る義援金/市町村に届いた950億円、配られず。配らないなら返して欲しい。私は、今後大きな震災が起きても日本赤十字には寄付をするなというメッセージだと捉えた。ピンポイントで直接支援。国を経由するとおかしなことになる。
ハーゲンダッツのクリーミー杏仁がうまい!