『敗北と死に至る道が生活』その3050
若松考二さんが交通事故で亡くなったので「キャタピラー」を借りてきた。人生の最後が事故死というのはなんだか切ない。戦争で四肢をもがれて戻ってきたダンナの妻を演じるのは寺島しのぶ。綺麗ごとで言えばダンナを世話して生涯尽くすのだろうが、四肢がないダンナは都合のいい「軍神さま」と名づけられ村人から崇め奉られる。動けぬ男の世話をする妻は出兵前にDVを受けていたので実際たまったもんじゃない。食欲性欲睡眠欲のみに生きる男もかなり可哀想ではあるが、このダンナ善人ではないことが描かれている。善人でなければ四肢をもがれてもいい訳はないのだが。最後は元ちとせの「死んだ女の子」の歌をバックに原爆の映像。どこまでも救いようのない戦争を描き平和を願う。容赦ない残酷な現実を、ためらってしまうような映像で若松考二さんは伝える。若い監督には出来ないだろう。
健常者でも食欲性欲睡眠欲のみに生きているようなものかもしれない。と考えるとぞっとする。せめて”フリ”をしていたい。それが理性だとすればうすっぺらいものだ。本能をつつみこむ薄皮。いつか簡単に剥けてしまうかもしれない。それでも人は理性を身にまといチンパンジーと違う”フリ”をする。
「さや侍」を借りてきた。オチが3つあるような気がするのは私だけだろうか。にしても竹原ピストルはいい声してる。映画の歌って重要な位置を占めている。のぼうの城。見たほうがいいのだろうか。週末は銀座にでも行くか。行っても急に「北のカナリアたち」を見てしまいそうだ。