『敗北と死に至る道が生活』その3098
以下の文章の「データベース」はあなたの得意な事象に置き換えてください。20代の頃はデータベースというものはわたくしごときに手に負えるものだろうかと不安だった。博士のような学者がより集まって考え出したブラックボックスだった。それは恐らく知識がなく、中でどんなことをやっているか知らないからだと思うが、幕末の明治時代もそんな感じだったんじゃないかと思う。だから必死に西洋のことを勉強しに視察団を送った。例えば縄文時代。遠くに別の集落があることなど全く知らない状態で、森で出くわしたとしたら、たぶん攻撃する。知らないから怖い。すなわち理解し合えないもの同士の初期衝突は必ず武力なのだ。だから戦争になる。それを超えて分かり合えれば平和が訪れると信じてきたがそれでも分かり合えない場合がある。もし宇宙に地球外生命があるのなら、そこでは「戦争」はどうなっているのか知りたい。
何の話だっけ。データベースが不安だった話だ。知識が深まるにつれ、「たかがデータベースじゃねぇか」と思える私はあと数年で50になる。とは言え、データベースに関してすごく頑張ったかと問われれば、ただ地道に歩き続けてきただけ。いつの間にか遠くまで来た。ただそれだけ。走ってもいいけど走らなくてもいい。大切なのは歩き続けること。景色も徐々に変わってゆく。カメはウサギが途中で休むことを”知っていた”。ウサギが寝ている横を”起こさずに”そっと通り過ぎた。薄汚いカメ。それで勝ってうれしいか?ウサギに謝れ。土下座して謝れ。すでに土下座みたいなもんか。何の話かは、この際どうでもいい。