『敗北と死に至る道が生活』その3787
私がかつて一人暮らしをしていたころカレーを作った日記が出てきた。当時を忍んで読み捨てて欲しい。一人暮らしは気楽でいい。だが少々不便なところもある。例えばカレーを作る。一人分というわけにも行かず、ルーに書いてある指示の半分がせいぜいである。10皿の半分、すなわち5皿分。それでも5皿だ。誰が喰うんだ。一人だ。つまり5回分の食事がまかなえる計算になる。
材料も半分買ってくればいいのだが、タマネギなんかは3つくらい入っている。人参も3本入っている。仕方なく私はそれを買ってくるのだ。日曜日にカレーを作った。失敗した。日曜から月曜まで失敗カレーを食べ続ける。もういやだ。
そうかと思えばルーは半分ある。タマネギもある。人参もある。となればまたカレーを作るしかないのだ。東京の水は不味い。だから「南アルプスの天然水」を買ってくる。どうせ味なんか分かりゃしないのにも関わらず。
タマネギは剥きやすいからいい。皮なんか剥かない。男は皮なんかにこだわっていてはいけないのだ。だが人参の皮は少し気になる。2回目ともなれば皮を剥く女々しさも加わりがちだ。だが皮剥き器などないのだ。包丁で剥こうと試みたが本体が無くなりそうな勢いで剥いてしまう。
そこで男の料理らしさを出すことをひらめいた。風呂場にはひげ剃りがあるじゃないか。私は何のためらいもなく「替え刃がおろしたてだけど・・・」とためらいながら、それで人参の皮を剥くことにしたのだ。二枚刃が出たときはおどろいたものだが、21世紀の現在、ひげ剃りは三枚刃が主流だ。
「三枚刃で人参の皮を剥く」
かつてそんなことをした人がいるだろうか。すなわち人類最初に試みる壮大な実験だ。私はなんのためらいもなく人参に刃を当てた。「こんなことでいいのか」と少しためらってみた。人参に「ためらい傷」が入った。中森明菜か俺は。
一気に行け。男の料理なのだから。だが3枚刃の刃と刃の隙間が狭すぎるのか、人参の皮が詰まってしまう。そうだ。こういうのをスムースにするのがシェービングフォームじゃないか。私は何のためら・・・しつこい。シェービングフォームを人参に塗りたくり、皮を剥き続けた。そこそこ切れる。人参一本剥くのに替え刃をひとつ無駄にした。
私はこうして夜中にカレーを食べている。そのころにはそれがおいしいのか不味いのかすら判断出来なくなっていた。しかし近所のカレー屋に行った方がよっぽどおいしくて安上がりだということに気が付くのにそれほど時間はかからなかったのである。 (2002/02/13の日記より)