『敗北と死に至る道が生活』その4412
何日か前に音符の話を書いたが、黒鍵は何かのシャープである。が、それだとフラット表記は不要。でもフラット表記はある。それが理由だと教えてもらった。基本の理屈がわかってないのでちんぷんかんぷんだ。知ろうとするとますます分からなくなる。パソコンを知らない人にも優しくしようと思った。祖父がつけてくれた私の名前の1文字目は昭和からとったそうだ。小学生の頃、「自分の名前の命名理由を家族から聞いてきなさい」という宿題が出たときに教室で「昭和生まれだから1文字もらった」と発表したら笑われた。全員昭和生まれだと。いろいろあって平成も終わろうとしている。
政府系も西暦で統一というニュースを見た。と思ったら表記としての元号は残すそうだ。そりゃそうだ。政府系が使わないと。内部データは西暦で統一で画面や紙に表示するときに変換する。と、大々的に発表したが、エンジニアから見れば「え、現状そうなってないの?」というのが本音だ。じゃあ平成に切り替わるときに何をしていたのだ。2000年問題のときに同時に片付けてんじゃねぇの?
もし1989/1/8以降だったら平成とするとかロジックに書いてんのか?と思ったら書いてるところもあるんだそうだ。私が今までやったシステムではそもそも元号表記をしない。するとしても書式で和暦に設定しておしまい。あとはおそらくWindows Updateがあたれば勝手に新元号が出てくる。「人まかせ」と言うと聞こえは悪いが、「何も対応しなくても対応される」というのがシステムの理想である。理想ではあるが「何も対応しなくても対応される」というのは、同時に「それ以降仕事がなくなる」ということなので、もしかしたら、改修作業を発生させるためにわざとそんな仕様にしているとしか思えない。富士通とか沖電気とか。ITにうといお役人たちから大金を巻き上げる。それは税金だ。