『敗北と死に至る道が生活』その4594
我らが赤羽岩淵の青水門頑張った。まだ現在進行形かもしれない。ツイッター見ると「青水門を開けたらしい」と勘違いしている人もいるようで、ダムの放水と同じだと思っているようだ。青水門は普段は開いていて隅田川と荒川に分水している。水量が増すと青水門を閉じて荒川だけに流す。隅田川を守るためだ。では荒川が犠牲になるではないかと言うとそれように作られた人口の川なので流れる。荒川放水路とも言って、人が手作業や蒸気掘削機や船を使って堀ったのだ。明治44年(1911) 着工というから歴史は古い。パナマ運河建設工事に携わった技術者も参加したという世界的にも凄い土木工事。荒川下流河川事務所のページ「荒川の概要と歴史-荒川放水路の変遷」参照。
普段開いているものを閉じてもの凄い水圧を荒川側に向けるために耐えうる構造物が計算上の理屈でなく現実として機能して都市が守られているという事実に私は少し涙ぐむのだった。そしてラグビーが開催決定。やってくれるもんだと信じている。