『敗北と死に至る道が生活』その86
あなたはセミの一生を考えたことがあるだろうか。そんなこと考えるより自分の明日でも考えたほうがいいと思います。『数の子を喰う』という行為にどれ程の意味があるか考えたことがあるだろうか。私は無い。数の子の粒の大半は潰れないまま(糞)排泄される。我々は数の子の味ではなく味付された数の子の味が数の子の味だと思っているだけだ。数の子は果しておいしいのだろうか。はなはだ疑問である。
私が中学生だった頃、社会の先生が言った『(猿)猿と(歩)人の違いを挙げなさい』という質問に対し、我々は『(炎)火を使うことが出来る』とか『文字が書ける』などと答えた。一人が『味付をする』と答え、教室は爆笑となり、それ以来彼は『あじつけ』というあだ名で呼ばれてしまった。大人になった今考えてみると『味付をする』というのはかなり重要な回答だったことに気が付く。『あじつけ』元気だろうか。料理人になったのだろうか。非常に気になる。訳でもない。