『敗北と死に至る道が生活』その168
先日ニュースステーションに出ていた沢木耕太郎氏が旅について質問されていた。沢木氏の答えは『旅の予定をたてるが、いざ行くとなるとやめたくなる。誰か止めてくれたら、とさえ思う』と答えた。この感覚は私も近いものを感じる。沢木氏は20代の頃、香港からロンドンまで路線バスで旅をした(のちに電波少年にパクられた)、旅好きのノンフィクション作家だ。結局、旅が好きな人ほど旅に行くのをいやがるのだ。行ってしまえばどうということはないのだが。
本当に、どうということはない。むしろ予定をたてている段階で頭の中には素晴らしい景色がイメージされてしまう。いざ行ってもイメージ通りの景色なんて広がっていないのだ。雨が降っていたり、霧でみえなかったり、薄ら寒かったり、発色が弱かったり、夕日が見られなかったり、かったるかったり。私はイメージを超えようと何度も試みた。しかし旅はそれを許さない。私のイメージを超えてくれたのは奥入瀬渓流と屋久島くらいのものだ。イメージを落とすか、旅をやめるしかないのだ。