『敗北と死に至る道が生活』その195
くじらのノルウェー煮、くじらのオーロラ煮。昔の人は凄いものを喰っていた。週末からドイツに行って来る。と言っても仕事なのでどうしょうもない。フランクフルトなので本当はゲットーなんかを見たいのだがだめだ。向こうで『ゲットーが見たい』などと言ってもいいものかどうかも分らない。相手が困るかもしれないし、そうでもないのかもしれない。『ヨーロッパの意識』というものに対して私は無知だ。日本の『靖国神社問題』のようにセンシティブな問題なのか、そうでもないのか分らない。
『靖国神社問題』だって国内の見方と他アジア諸国からの見方は随分異なるように思う。他アジア諸国からの見方からするととても一国の首相が行けるような所ではない。本当は違うんだけれども。
ビンラディンが死んだとして、イスラム系の人は墓参りするだろうか。本当は違うんだけれども、そういう見方でしか見られないのだ。他アジア諸国から見れば。本当は違うんだけれども。そりゃ理解出来ないだろう事柄だ。
せいぜいクラッシュの『ゲットーの被告人』でも聴いてやるくらいしか出来ない。悲しみも何十年か経てばエンターテイメントでしかないのか。
わけわからん(汗)