『敗北と死に至る道が生活』その274
久しぶりに実家に帰って恐ろしい物を発見してしまった。それは階段の踊り場に作った棚の上にあった。白い箱である。何を入れたのか分からなくなってしまうので黒いペンで内容物を書いてある。付近には「シーツ」「せっけん」「皿」などと言ったおそらくお中元やお歳暮で貰ったはいいが、ちょっと置いておこうといったものが並べてある。問題は「コウモリ女物」と書かれた箱である。「コウモリ女」のかぶり物であることは想像に難くない。果たしてうちのお袋はのんきな顔して「コウモリ女」だったのだ。世の中が信じられなくなった。でも散らない桜は無い。同様に人はやがて死んで行くのだ。一生懸命頑張ったって必ず死んでゆく。こうなると銀行強盗でもやって鬼ごっこした方がよっぽど楽しいのではないか。と、ボニー&クライドのような心境に誰もが陥りがちだろうが、俺は米とジャガイモでも栽培してひっそりと静かに暮らしたい気持ちで一杯。それはきっと春の精だ。
春だからかどうか知らないが時計が壊れちまった。壊れたと言っても確実に時を刻み続けてる。時刻調整が出来ない。日付やアラームの調整も出来なくなってしまった。電池が切れた時点でこの時計も使えなくなることだろう。ひとつ困ったことにはアラームをセットしたままOFFに出来なくなってしまった。常に午後3:46分に「ピピピ」と言う。まぁ夜中じゃないのが不幸中の災(わざわ)いだ。さて次はどんな時計を買おうか。機械としての時計に宇宙としての時速が加味され、人は何故か壊れたことを喜びがちだ。どうせ死んでしまうのに。
ぽかぽか陽気に誘われていないだろうか。ぽかぽか陽気は誰だって誘う。なんて軟派な奴だ、ぽかぽか陽気って奴ぁ。俺はそんなにヤワな男でもなくむしろ横柄で卑屈な性格をそろそろ改めようと考え直したりしてみるのだが、どうせ死んでしまうのだからまぁいいか。なんて、いろいろ悩んでいるのも事実として認識せざるを得ないのが大いに不本意だ。そういう訳で春は死と殺戮と車と宇宙とそしてメンバーは立っている。みたいな感じでうららかに過ぎてゆくのだ。
あぁあ。どうせ死んじまうっていうのに人は生きている。こうなると宇宙の存在意義が分からない。宇宙から見れば地球なんかどうだっていいのだ。あろうが無かろうが宇宙には何の影響もない。むしろばい菌のような星で気色悪いのかもしれない。地球が存在しないからといってどうだ。神を認識する生命体も居ない。宇宙の存在意義が分からない。あぁノイローゼ入ってきた。涙流れてても今夜、アスピリン片手にジェットマシン。生命。死刑宣告。