『敗北と死に至る道が生活』その458
中学の卒業文集でうかつな事を書かなくてよかった。私がもし犯罪者になったらきっと中学の卒業文集で書いた将来の夢や一言が全国放送の夕方のワイドショー的要素がてんこもりの馬鹿げたニュース番組で放送されてしまうことだろう。殺人者の卒業文集が『将来は医者になりたい』だったら格好のネタになる。あなたは何を書いただろうか。私は明確に覚えている。『わーわーぶーぶー』と書いた。意味のない言葉の強さを感じる。こんなものを真剣に考えて書いていたら今ごろきっと恥ずかしいのである。そのことに中学の頃気が付いているかどうかがポイントだ。
中学の頃は誰もがとかく熱く語りがちだ。青春とはなんと青臭いのだろうか。私は早めに青春が終わってよかったと思っている。私の青春時代はそれこそ森田公一とトップギャランの『青春時代』が流行っていた頃のわずか3ヶ月ばかりだ。高校生の頃はおじぃさんに憧れていた。ミヤジも20代の頃は老爺を気取っていた。男はそういうものなのか。
京都を歩いていて、ばかに尻の下がったジーンズを穿いている若者を見た。きっと財布をひったくられても走れないほどだ。その若者は何が狙いなのだろう。それが格好いいとでも思っているのだろうか。大人には分からないだろうとでも思っているのだろうか。私は『完成されていないな』と思った。完成されていない姿をさらけ出しているのだ。派手な格好。目立った格好。他人を意識した大笑い。私はこういう若者を見ると吐き気がする。私は若者に生まれなくて本当によかったと胸をなでおろしているのである。