『敗北と死に至る道が生活』その554
最近キリスト教の『右の頬を打たれたら左の頬を差し出す』という気持が分かってきた。なんて言うと大げさだが、この行為を行うことによって、相手は惨めになる。暴力に対して暴力で返すともっと返ってくるが、左の頬を差し出したらどうだろうか。まぁもう1発、2発は打たれるかもしれないが、それでも左の頬を差し出したらどうだろうか。なぜ殴り返してこないのだろうと考え、どんどん落ち込む。相手はより一層惨めになる。相手がまともならば仕掛けた方が一方的に悪者になる。アメリカもイラクも、反撃しないでみたらどうなっていただろうか。