『敗北と死に至る道が生活』その688
『組織』という冠がついた途端に人は大雑把になる。たとえば家庭でトイレットペーパーひとつ買うのも、『やれあそこのスーパーなら1円安い』などと些細な行動にも慎重だ。ガソリン代が1円以上高くなろうと車で買いに行く。しかし組織で買う場合、トイレットペーパーの値段などどうでもいいのである。だから定価で買ったり、あそこから買えば安いということは分かっていても過去のしがらみやら、OBが役員だからなどという、くだらない理由から業者を変えられないでいる。
それが積もり積もれば抑えられる出費もかなりの金額になる。外務省の出張なんか航空会社の定価のチケットを買ったりする。あなたはビジネスクラスの正規料金の値段を知っているだろうか。法外~。今、官僚として。私は仕事で海外出張するときもエコノミークラスで行かされる。しかもオープンチケットでなく往復がFIXされた格安のやつだ。事実オープンを買うよりFIXを1枚無駄にして、再度FIXを買いなおしても結局安かったりする。
外務省は、どうせ予算を使い切らなければならないから定価で予算を決めている。予算を下げることなどこれっぽっちも考えていない。税収の枠を使い切るように考えている。『考えている』ことと『考えていない』ことが全く逆だと考えている。私が考えている。私が考えても何の効果もない。
HISで買えば7割から9割も安かったりするのに。官僚も家に帰れば『やれあそこのスーパーなら1円安い』というトイレットペーパーでケツを拭いているに違いない。トイレットペーパーが話せたとしたら、あんたの尻拭いはもうまっぴら御免だと言うに違いない。
誰もが個人だし、多くの人は組織の一員だ。恐るべし『組織』と『個人』。