『桜の花、舞い上がる生活』その1657
我々ボケを入れると本当にボケちゃったんじゃないかという年齢に片足突っ込んでいる訳だが、足湯みたいな感じでよろしいのではないかと自負している。「逆に言うと」と言って語られる67%が逆ではないことを我々はどうしたらいいのだろうか。
「映画とか見ます」と言って語られる89%が「とか」に意味が無く映画限定の質問なのを我々はどうしたらいいのだろうか。
「個人的には」と言って語られる50%が意見をぼやかすまやかしとして認識されるのを我々はどうしたらいいのだろうか。
「基本的には」と言って語られる38%がイレギュラーのない基本だけだとしたら我々はどうしたらいいのだろうか。
おばさん同士の会話は質問があまり出ずに会話が進む。これはお互いが話が上手でディテールを全部話しているので聞いていれば分かるからだ。と思ったら大間違いだ。お互い人の話なんか聞く気が無く、自分がしゃべりたいことをベラベラ言っているだけだからだ。それが「いつ?」か「だれ?」かなどどうでもいいのだ。ことによると話全体を聞いていない可能性もある。次に話すことを考えているのだ。嘘だと思ったらその調子で若者と話してみるがいい。「いつの話?」「だれが?」と言われるだろう。そのことについて少々むかつくだろう。しかしながらそれはちゃんと聞いている証であり、むしろ質問してこないほうに少々むかつくべきだろう。
言葉ってなんだ。