『敗北と死に至る道が生活』その1826
私もクォークは6個くらいじゃないかと睨んでいた。そんなことはいいが、「泣ける」と薦められると泣けない。何も知らない状態がいい。とある小説でダンナに先立たれた奥さんが電球を取り替えようとストックしてあった電球を探した。手紙がはさんであって取り替え方が書かれていた。それはダンナが自分の病を知って書いておいたもので、点けて時間が経っている電球は熱いから気をつけなさいとか、奥さんが背が低いので大丈夫かとか・・・。そんな手紙を電気が切れた暗がりで読む奥さん。
・・・というシーンがあってそれは不意打ちだったので泣いた。
・・なんていう説明を予めされたらきっと泣かないだろう。
「誰も知らない」っていう歌はあり得ない。製作関係者は知っている。失礼だ。「あまり知られてない」程度にしとけ。アルバム収録曲なら分かるがシングルカットで長期にCMで流れた曲をあんな編集でゴールデンタイムに「誰も知らない」と称して流す。あほやなぁ。私でさえ泣けなかった。加藤浩二は山本のことなど色んな思いがあっての涙だ。ラジオで「極楽とんぼの加藤です」と言っていたのだけが印象に残った。山本の相撲ライダー面白かったのに。大麻や覚せい剤やった連中だって復帰しているのに何故。
泣けるかどうかは本人が決める。恥ずかしくて誰にも言っていなかったが、実は先日、一人で車をドライブ中「翳りゆく部屋」を聴いていて号泣した。わからない。その前に聞いていたときも普通だったし、今聞きなおしても泣けない。そのタイミングで何かがきてしまった。だから私は「翳りゆく部屋」は泣けるよ。と人に言わない。ミヤジが「武蔵野」で泣くのも色んな思いがあるからだろう。車をドライブし過ぎて「辛い思い出です」と語ったくらいだから。
Googleさんが過去のページを保存している。期間限定で公開中!「普通の日々」の頃のミヤジ.たたずまいが良い。