『テラスを照らす月生活』その1974
初動で売り切れていたSWITCHが山積みされていたのでみたら、ヘアメイクのところで笑った。六角さんだけ書いてあってミヤジは当然ながら書いてない。でもミヤジの方が格好いい。ミヤジがスタジオに遅れて行ったら3人でやっていた演奏がピタっと止まったというのが笑えた。どんだけ緊張させてんねん。昼に専門店で塩むすび100円で喰ったらかなりうまかった。コンビニの大量生産とは明らかに違う。しばらくハマりそう。
昨晩嫁から聞いたのだがハリセンボンのどっちかが肺結核で入院。「角野たくぞうじゃない方?」と聞いたら「ちがう」と答えたが、よく考えたらどっちも「角野たくぞうじゃない方」だ。「ちがう」の意味が分からない。
「細い方」と言え。みんな元気で幸せに暮らしていただきたい。何目線だ。皇室目線か。庶民のはしくれがすみません。端っこで生きていますのでどうか見逃してください。
方法が分からない。
曲ってどうやって作るんだろう。ちょっとやってみたが、全部「シロウトが作る単調な鼻歌」若しくは「20年前の所ジョージ風」になってしまう。
方法が分からない。
数打てばあたるかと思って適当な音符を組み合わせる。たまたま当たるかもしれないが、継続は出来ない。ならばアーティストは何か方法論に基づいてやっているのだろうか?そんな理屈で出来るものだろうか。いかん。理系のサガだ。何でも計算式で出ると思ったら大間違いだ。
作曲家は何をどうしているのだ。分からない。方法が分からない。テレビを見ることは出来るが作ることは出来ないのと同じか。いやいや例えがよく分からない。
「なごり雪」を歌ってみた。単純なコードしか使っていない。メロディーが美しい。伊勢正三。何故だ。スティングの「Englishman in New York」の楽譜を見てみた。Cメロ以外は3つのコードしか使っていない。一方で複雑なコードで大して耳に残らないような曲もある。いいメロディーとそうでないのは何がどうなのだ。
コードマスターとメロディーファイルを乱数表で読みながらループさせればいいのだろうか?いかん。理系のサガだ。何でも計算式で出ると思ったら大間違いだ。
分からない。いいメロディーは何がどうなっているのか分からない。誰か教えてくれ。
とは言え「これがこうなってあーなってるからこうやったらいいんですよ」などという返事がある訳もなく、答えは風の中にあるなどという抽象的なことなんだろう。
最近どこかで見た。ボブ・ディランの家のトイレの匂いが臭くて近所迷惑との記事の見出しが「風に吹かれて」だった。