『敗北と死に至る道が生活』その1999
今朝のめざましテレビで福知山線の脱線事故で頭を強く打った女性が出ていた。事故直後のリハビリでは「こんなことしてどうなる」と暴れていた。それを母は笑いながら手伝っていて、その姿に朝から少し泣いてしまった。いいお母さんだ。今は女性も前向きに生きていて、あのとき自暴自棄になった人とは思えないくらい穏やかで、自分の脳みその記憶力が事故前と比べて落ちていることを「同じ脳みそが悩んで」いた。おそらく想像力や思考の部分は正常で記憶領域が損傷したのだろう。自分で自分がもどかしいことを認識している。
人はそれぞれの係りを演じているのだから、運転手という係が正常に働かないとこんな不幸が生まれる。
事故にあわなくても人生の青春期には誰もが自暴自棄になったりする。それを親が温かく見守るか、親までもが自暴自棄になると虐待につながったりする。親は親という係の人。
今は母と私の立場も逆転してしまったが、加齢による衰えを考慮してもう少し優しく接しないとと心がけるようにしたい。いつ死ぬか分からない。息子に逢った最後が暴言を吐かれた状態より、花を貰ったという思い出を残してやりたい。いい息子ではないが「いい息子を演じる」ことは出来る。