『敗北と死に至る道が生活』その2082
欧米のハンバーガーというものは食べずらくて仕方が無いと思っていた。ハンバーガーを食べると具が飛び出てきて手を汚す。出てきた具が落ちないようにそこだけ食べてみたりする。パンと一体に食べることが出来ないのならパンではさむ意味が無い。手を汚すので紙に包まっていて、半分くらいむいて食べる。私だけだろうが、たまに紙まで食べてしまって「ぺっぺっぺ」的な行為になる。魚には骨があって食べずらいという欧米人はこの事実についてどう考えているのか小一時間ほど問い詰めたい。
紙の中でケチャップやらマヨネーズやキャベツが少し漏れてしまう。大人用パンパースの方がいいのではないかと思ってみたりする。横漏れ防止ギャザーである。最後のほうはもうボロボロになって、紙を舐める的な行為になる。で口の周りにソースがついてまた紙で拭く。だからファーストフード的な店には紙がいっぱい置いてある。ウォシュレットが必要なのではないかと危惧する。こうなるともはやハンバーガーイコール大便なのではないか。
これに比べて日本の「丼」というものはとても優れていて、つゆから具からご飯までが丼に守られていて箸でかきこめば最後の一粒まで手も口も体も汚さず食べられるが、心が汚れているのは今のところ無関係だ。
この2つを合体させたらどうだろうか?と、トーストした食パンにバターを塗り、16等分に切り、チンするハンバーグとトマトとレタスを一口大に切り、マヨネーズとマスタードを丼に入れて混ぜてスプーンで喰ってみた。なぜだか、おいしくない。何故だ。パンが弱くなっている。パンの存在が弱くなっている。「パンを食いちぎるという行為」は恐らく味覚の一部なのだろう。だかラ・フランスパンは硬いのだろう。だかラ・発音が鼻に抜けるのだろう。
とは言え、ロッテリアの絶妙バーガーは相当うまい。嫁が「ロッテリアで満足したのは初めてだ」と言っていたので、「もっと大きな声で言え」と返した。店長が絶妙な顔をするだろう。