『敗北と死に至る道が生活』その2385
「お誕生日おめでとう」と言うが、いつかめでたくなくなる日がくる筈だ。いや、既にあまりめでたくない状態に片足を突っ込みながらも土俵際で踏ん張っている姿はあまりにもおめでたいのだ。そういった意味も含めて「お誕生日おめでとう」。そんなことはどうだっていいが、朝、めざましテレビを見ると「それどーだっていい」という情報ばかりなので、あまり見ないのだが、他局がコマーシャルになると替えてみる。やっぱり「それどーだっていい」しかやっていない。「ブブゼラの音はどこまで聞こえるか検証します!」とか。「ニセiPadと本物のiPadの起動時間を比べます!」。。。。そんなことがあの時間に知りたいだろうか?あれを一生懸命取材してVTR作っているスタッフを思うと哀れになってくるほどだ。貴様らそんなものを作るためにテレビマンになったのか?
最近は「それどーだっていいよ」のどーだっていい加減が気になって毎日見ている。逆に面白くなってきている。どーでもいいネタを企画している会議はどんな感じなんだろう。誰もがうっすら「それどーだっていい」と思いながらやっているんじゃないかと。いかんいかん。視聴率を上げてしまっている。
いつの日かV明けのあやぱんが「これどーだっていいですよね」と言う日を待っている。