『敗北と死に至る道が生活』その2425
夏も終わりか。子供の頃、夏休みといえば姉と2人で母方の実家に帰省していた。行くときと帰るときだけ両親が往復してくれたが、ほぼ一ヶ月間祖父と祖母が面倒を見てくれた。隣の家まで200mくらいあるが小さな集落になっていて、同様に遊びに来ていた同年代の子供達もいた。川や山で遊び、祖父は山に桑の葉っぱを刈りに行き、祖母は家事をし、蚕に桑の葉っぱをバラまくのを手伝ったりした。蚕と言うのは毛虫の一種であるが、毛が無いのでさほど気持ち悪くない。光沢の在る白い肌で頭が少し大きいので昔の新幹線に似ている。花火を買いに行くのも子供の足で片道1時間くらいだろうか。子供の足というのは花があれば花びらをむしり。木があれば登ってみてクワガタを探したりするので本気で歩けばかなり近かったのかもしれない。
夕飯はあまり記憶が無いのだが、カレーは覚えている。たいしてうまくもないカレーに魚肉ソーセージが入っていた。そりゃそうだ。冷蔵庫がなかったのだから。肉など食べられない生活。魚は干物を車で売りに来る人がいてそれを食べていた。大人になって今、考えると祖父や祖母はカレーなど食べたことがあったのだろうか?孫達がいるからカレーを作ってみた。だから仕方なく食べていたに違いない。
そんなとりとめもない記憶の夏。