『敗北と死に至る道が生活』その2465
蒼井優ってすっぴんですよね?違いますか。騙されてんのかな。そんなことはどうでもいいが、Cocco の Zepp Tokyo に行って来た。当初体調不良で1時間だと宣言されていたが、普通に2時間弱やった。凄い良かった。
アルバム「エメラルド」に収められた曲たちは全てオリジナルを超えてきた。昔の曲がむしろ邪魔なくらいだった。 Coccoも全身を振り絞って歌う歌手だから魂がストレートに伝わる。プロフェッショナルな音楽家たちっていい。コッキーTシャツがエレカシ化してたけど、なぜだかおしゃれに見えるのはどういう訳だろうか。文字のバランスだろうな。
Cocco頑張ってたのでTシャツを買ってしまった。
ガチャガチャをやったらエコバッグが出てしまった。嫁にやろう。
以前にも書いたがそれぞれのプロフェッショナルが集まって世の中成り立っている。マグロを釣り上げる漁師。市場のおじさん。冷凍便の運転手。目利きのすし屋。それぞれが丁寧な仕事をしてくれたから我々はおいしい中トロをいただける。みなさんの頑張りを思えば1貫2千円なんて言われても納得がいく。そこそこな仕事でも安い回転寿司に価値があると思う日もある。
いずれにせよデザインの係りの人は自分に与えられた仕事を全うすべきだ。エレカシツアーグッズ担当のデザイナー批判ですか?そうです。
耳かき店員事件。無期懲役で遺族側と検察が控訴しても高裁は死刑を出しにくくなってしまった?
死刑を出してしまうと裁判員制度なんか要らないじゃないかということになり高裁側が萎縮してしまう。「裁判員制度で選ばれた判決だから」という今まで加味されなかった要素が含まれてしまうのだから、昔より複雑になってしまったのではないだろうか。むしろ最高裁が死刑判決を出してくれた方が私は納得がいくのだが、反対意見の方が多いだろう。
今回の裁判を見て思った。たまたま選ばれた裁判員に私のような人が多ければ死刑。そうでなければ無期懲役。となると人選によって判決が異なる。極端に言えばコインの裏表で決めるのとなんら変わりは無い。なんて言うと悩んで悩んで出した裁判員に選ばれた人たちに失礼だから言わないが、制度を決めた側に責任がある。「裁判員を選ぶ」=「コインを投げる」という制度ではないか。
なんていうと人権派の人に怒られるんだきっと。
今日のFMのメモです。
エレファントカシマシ 宮本浩次さん
選曲テーマは『ギフト』
M9 Tonight,Tonight / The Smashing Pumpkins
M10 Planet Queen / T.REX
M11 Bohemian Rhapsody / Queen