『敗北と死に至る道が生活』その2886
ゴマ好きだ。野菜炒めだろうが、漬物だろうが、味噌汁だろうが、あほのようにゴマをかける。調理したフライパンの状態でかけると、フライパンに粒が残るので、完成してお皿に盛った状態でかける。せっかく我が家まで辿り着いたゴマ粒。無駄には出来ない。それでも皿に残る。ならば直接口に入れればいい。それでもうがいをすると数粒出てくる。ならば胸に穴を空けて直接胃の中に注入すればいいと思う。が、これだと味が分からない。こんなにゴマばかり食べていたら体にいいんだか悪いんだか分からない。
そんなことはどうでもいいが、蕎麦打ち名人やら日本酒の仕込みなんかで「温度や湿度によって微妙に配合を変えています」などと聞くと「職人だなぁ~」と思うが、要するに適当ってことだ。普通の行為なのに言葉のオブラートですごく感じる。だからテレビの通販番組が成立する。普通に売って300個程度の場合でも、限定300個などと煽ると500個くらい売れる。そして次の日も限定300個だ。
そんなこともどうでもいいが、アフリカ人が言っていた。国として年金制度が無いから、子供が年金がわりだと。年老いたら子供に世話してもらう。だから貧困国は子沢山が多いらしい。日本なんか少子化かつ年金制度も崩壊しつつある。今の中年は不安でしょうがないから貯金を溜め込んでいる。私もそんな感じだ。とは言え年に一度は海外旅行でぱーっと使ってしまう。仕事を辞めたあとの貯金の減り具合と死期とのバランスで全員困っている。その不安さえ取り除ければ経済は良くなる。